知床観光船

橳島優さん(千葉県松戸市)「筑波大卒JR貨物勤務」知床観光船被害者

nudeshimayu

北海道・知床沖、観光船「KAZUⅠ(カズワン)」浸水事故の被害者の一人は、千葉県松戸市の橳島優(ぬでしまゆう)さん(34)です。

橳島優さんは24日、知床岬先端から西へ約1.3キロメートルの海上で発見されました。

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橳島優さん(千葉県松戸市)「筑波大卒JR貨物勤務」

橳島優さんは中学校卒業前に一家でオランダのアムステルダムに渡り、インターナショナルスクールに通ったといいます。

「気は優しくて力持ち。昔話の主人公のような青年だった」「家族思いで、少し前には『父がもうすぐ退職なので妹とプレゼントを考えている。何が良いでしょうか』と言っていた」「あの穏やかな笑顔の優がもういないなんて…」(当時語学を教えていた橋本八重子さん(72))

帰国後は帰国子女枠で筑波大学(茨城県つくば市)に入学し、2006年8月から2012年7月まで在籍。地盤工学研究室に所属し、鉄道の安全性についての研究をしていました。


※筑波大システム情報系の松島亘志教授(55)(左)と山田恭央名誉教授(72)(橳島優さんが当時所属していたゼミの指導教官)

「若くして亡くなったのは残念」「これからいろいろやりたかったことがあったと思う」

「彼は若くて優秀で、いろんなことをやりたいと希望に満ち溢れていました。本当に残念です」「とてもバイタリティーのある学生だった。帰国子女ということもあり、物おじせずに教員とも接していた」「信じられない思い。これからやりたいことがあったと思うと残念でならない」「安全第一にしてほしいと強く感じる」(松島亘志教授)

「1人で黙々と研究に励んでいた。若くして亡くなり残念だ」(山田恭央名誉教授)

橳島優さんは英語が堪能で旅行や列車、飛行機が大好きだったといい、10年前にはフィリピンの飛行機免許スクールに1年ほど通って小型セスナ機の免許を取っていました。橳島さんは学生時代にコツコツとお金をため、事業用操縦士の免許を取る夢を叶えたのです。

「良い友人だった。本当に悲しい知らせだ」(当時指導したマニラ在住の外国人男性(36))

筑波大学を卒業後は鉄道会社、JR貨物に就職し車掌や運転手を務めました。その後は転職し、現在はIT関係の仕事に就いていたといいます。

「彼はまじめに取り組んで、地盤工学会という学会の発表で優秀賞をもらう、非常に優秀、一生懸命研究していた」「希望のところにいけてよかったねと。彼は若くて、優秀でいろんなことをやりたいと希望に満ちあふれていました。まだまだこれからいろんなことができるということでしたので本当に残念」(松島亘志教授)



橳島優さん(千葉県松戸市)「両親と実家暮らしだった」

橳島優さんは千葉県松戸市内の一軒家で両親らと暮らしていました。

「あいさつするといつもきちんと返してくれた。優しそうな印象だった」(近くに住む主婦の40代女性)

27日夜、知床から松戸市の自宅に戻った橳島優さんの両親が取材に応じました。

橳島優さんの父親:「遅かったですね。とにかく対応が。何かあったらすぐに来てまず謝ると。詳細については今調査中ですとかそういうのが誠意ある対応だと思うんですよね。」

「社長の顔もテレビで、ここに来てから初めて見ましたから。」

橳島優さんの母親:「そうなんです。一度もないです。」

橳島優さんの父親:「あれだけ荒れた海で冷たい中に入って、恐怖とね…、本当に冷たいのと怖いのとね…、本当に死ぬ間際まで無念だったと思いますよ。」

家族思いでとにかく優しい人だったという橳島優さん。勉強熱心で夢を実現させ、まだまだ人生これからというところだったのに…。本当に胸が苦しいです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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